希望を未来へつなぐ道 浦和美園〜岩槻ガイド

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城下町の面影が残るまち 岩槻地域

戦国時代に入ると、関東公方(山内上杉氏)は古河公方(足利氏)との防衛拠点として荒川(現在の元荒川)沿いに『岩付城』を築いたのは、1457年と言われています。

岩槻城址公園は城郭を取り巻いて掘られた空堀などを利用して作られた公園で岩槻城門(黒門)、裏門があり桜の名所にもなっています。また、岩槻藩遷喬館(いわつきはんせんきょうかん)は岩槻藩に仕えていた儒者児玉南柯(こだまなんか)が1799年に開設した私塾で1805年に藩校となりました。さらに、時の鐘は1671年に岩槻城主阿部正春公の命で鋳造され、城内・城下の人々に時を知らせたものです。

城下町に関したイベントとして11月の鷹狩り行列が開催されています。

人形のまち

江戸時代の初期、日光東照宮の造営に携わった工匠の一部が、御成道の宿場町であった岩槻に留まり、人形づくりを手がけたのが始まりと伝えられています。が、人形作りの始まりには諸説あります。岩槻の人形の特徴は桐粉を正麩糊で固めたものに胡粉を塗って作った顔(かしら)や胴体から作った「岩槻人形」「江戸木目込人形」は『国指定伝統工芸品』として認定されています。また、岩槻人形協同組合では伝統の技法を生かし、文教学院大学と産学連携で岩槻人形元祖とも言われる「裃雛(かみしもびな)」を現代風にアレンジした『かみしもどーる』を商品化し岩槻区内の人形店にて販売しています。

新たな名所として、江戸時代の人形や貴重なコレクションを展示し日本文化における人形の歴史と美を探るさいたま市岩槻人形博物館が2020年2月にオープン!

人形に関した行事・イベントとして2・3月のまちかど雛めぐりや流しびな、11月の人形供養祭などが開催されています。

<岩槻人形協同組合>
https://www.doll.or.jp/

<岩槻人形博物館整備事業について>
https://www.city.saitama.jp/004/005/002/002/index.html

まちづくり

東武岩槻駅及び自由通路が完成し観光案内所が開設したことにより、東西への人の流れの変化や来訪者への情報提供など利便性の向上が図れています。

駅東口は城下町の武家地(武家屋敷ゾーン)や街道沿い町屋(商工業ゾーン)が配置され、日光御成道としての宿場ともなり、その歴史の面影が残ったまちです。武家地の一部である裏小路では街並み景観の維持・向上にむけ取り組むが始まっています。

また、明治、大正、昭和を代表する国登録有形文化財の建物が点在しており、イベント開催などに活用され、有機的な結びつけが行われています。

駅西口では都市開発(土地区画整理事業)等が展開され、マンション等も建設されています。

武州鉄道

武州鉄道は現在のJR宇都宮線蓮田駅付近から岩槻区内の河合小学校、岩槻中学校、目白大学さいたま岩槻キャンパスなどを通り、埼玉スタジアム2〇〇2付近を経由し川口市の神根まで運行していました。1933(昭和8)年には赤羽までの免許申請もしていましたが、1938(昭和13)年に武州鉄道は株主総会で会社の解散が決定し、1924(大正13)年から14年間でありましたが、惜しまれつつ幕を閉じました。廃線跡は宅地化や道路になるなど形地は変えていますが、岩槻区内はその跡が点在し当時の面影を伝えています。

現在、埼玉高速鉄道が武州鉄道の計画をなぞらえるように赤羽岩淵から浦和美園まで2001(平成13)年に開業し、岩槻を経由し蓮田までの延伸について交通政策審議会答申第198号に位置づけられています。

見る・楽しむ

城下町岩槻鷹狩り行列

江戸時代、徳川家康公は鷹狩りをしながら何度も岩槻を訪…

重陽の節句

旧暦九月九日は重陽の節句、別名「菊の節句」といい「健…

城下町岩槻歴史散策

  城下町岩槻の史跡をめぐる、まち歩きで…

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