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末田須賀堰の歴史と植物すえだすがせきのれきしとしょくぶつ

末田須賀堰の歴史と植物

場所 埼玉県さいたま市岩槻区大字末田2054・大字新方須賀1160map
アクセス 朝日バス 巻の上より5分

末田須賀堰は江戸時代初期の慶長年間(1610年頃)に、川の中央を締め切った中洲の堰として築造され、新方須賀村と末田村の両岸に竹洗流し(堰の一種)を設け2派の流れにしていたと伝えられています。

その後、越流固定石堰、木造型枠など幾度となく造り替えられました。1905年(明治38年)には、川中央部の中之島を境にして右岸側にレンガ造りの堰枠に改築されました。角落堰と言われ、分厚い木の板を何枚も積み重ねていく方式です。

1936年(大正15年)には、左岸側に鉄筋コンクリート製の堰枠が築造されました。こちらはストニー式可動堰と言われ、大きな1枚の鋼鉄製ゲート板を手動ですが上下させ堰き止める方式です。

現在の堰は、平成6年にこれまでの堰の上流側に改築さえました。

洪水吐ゲート1門・調整ゲート2門・土砂吐ゲート1門の4つの水門があり堰の幅はおよそ75m。別に階段式の魚道が設けられていてアユをはじめ多くの魚が遡上してきています。

上流部左岸側に須賀用水、右岸側には末田用水の取水口が設けられ、合わせて1,750ヘクタールにも及ぶ水田に農業用水を供給しています。

末田須賀堰は、農業用水を確保するため4月初旬に堰が閉じられ増水し、9月中旬頃に堰が開けられ水が落されます。また堰上流側右岸には停留部(よどみ)があります。このよどんだ場所の川底は、本流部のような土砂の流出がほとんどなく、夏の暑い時期には水中に没し、秋から春先にかけて露出する状態になります。その為この川底にはいろいろな植物の種が温存されています。その一種がキタミソウです。

キタミソウは、北海道北見地方で発見されたのでこの名がありますが、今では全国でも埼玉県東部地域のここと、行田の星川、越谷、草加の葛西用水など限られた川にしか生息が確認されていません。

キタミソウにとって川底が現れた時が春です。土が少し乾き始める頃発芽し、10月中半頃から花が咲き始めます。葉は細長いヘラのような形をしています。しかし直径が2mmほどの小さい白い花なので、目をこらさないと見つかりません。イチゴのように次々とランナーを伸ばして増殖し、最盛期にはまるでじゅうたんを敷いたように緑一面となります。翌4月までには、2~3回花を咲かせます。

この他、川底には僅か2~3カ月の間に花を咲かせるいろいろな植物が生息しています。オオオナモミ、カヤツリグサ、オオイヌタデなど秋に普通に咲く花も見られ、中でもシロガヤツリやコイヌガラシは、キタミソウと並んで絶滅が危惧されている植物として「埼玉県レッドデータブック」に掲載されています。

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