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岩槻黒奴

 

江戸時代から日光の赤奴・甲府の白奴そして岩槻の黒奴が日本三奴とされていました。岩槻の黒奴は久伊豆神社の神幸祭 神輿徒御の先に立ち岩槻城内、また城下を練り歩いたものです。

岩槻市史によると、町の若い衆八十八ばかりが粋な黒木綿の半纏着て身振りよろしく練り歩き、金紋先箱、大傘、御弓組、毛槍、神輿、かご、警護が並び、その後に手古舞いが続き各町内の山車を手に引かせ大勢の稚児が木遣り音頭をやったとされています。

岩槻藩主大岡家(1756年〜)の日記に「神社祭礼の神輿渡御にはその行列先頭に6人の黒奴が供奉(くぷ)すると書かれていたり、1856年、桶川宿の白鳥翁が祭りの様子を黒奴と表記、句を残していたりします。

また新聞や社務所記録簿には、明治18年、昭和3年、昭和8年、昭和29年に「岩槻黒奴」と出されたと書かれています。

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